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女郎花(六)
 怯んだ惟之を睨み付けて、少女は雑踏へと身を投じた。慌てて捕らえようと伸ばされて手をかわして、人混みに紛れる。同じ事があった時、彼はまた危険を顧みずに飛び込むのだろう。どんな酷い怪我をしても朱絽を守り通して、其れが自分の勤めだからと笑うのだ。恨み言の一つも言わず、呪縛のようにお役目だからと自分を納得させて――――。
(そんなの、許さない――――赦せない。)
 お嬢様、お嬢様と叫びながら人波を掻き分けて、惟之が追い付いてくる。このままでは、掴まってしまう。そうして、うやむやにされるのだ。あの声は不快だ。ある日突然別人にでもなったかのように深く、低くなった声。前へ行かなければ、進まなければ。でなければ追い付かれてしまう。もう何を考えているのかも判っていなかった。衝動に任せて人を押しのける――――と眼前を巨大な背中が空を塞いだ。あ、と声を漏らして二の足を踏む。
「お嬢様――――。」
 声が真後ろから響いて袖が捕らえられた感触があった。咄嗟に手を伸ばし、巨漢の太い腕にしがみつく。深く考えていた訳ではない。其れでも、直感があった。此れで烏丸に一矢報いる事が出来る。荒い息を落ち着かせると振り向いて、挑むように面を上げ高々と宣言した。
「今日からこの人を用心棒として雇うんだから、お前はもうついて来なくったって好いのよ。」
 見事に固まった青年の表情を終ぞ忘れる事はなかろうと朱絽は思った。迷子が途方に暮れたようにその場に立ち竦んでいるのだ。心細げな顔だ。瞬時に朱絽は悔いた。しかし、後には引けぬという意地もある。無理に烏丸から視線を外すと、男を見上げる。後姿からでは判らなかったが、酷い歌舞伎者だと思った。
「あなた、名は?私は朱絽と言うのだけれど。」
 六尺もの恰幅の良い巨漢があった。年は四十を越えているだろう。髭面で、太い眉が何とも恐ろしげで絵物語から抜け出た荒武者のようである。しかし目は小さく、馬鹿に白目が少なかった。腰には熊の毛皮を巻き唐風の角灯を下げ、立派な鞘の刀も刺さっている。その一方で胸当ての変わりに牛革を宛がっているが形が鳩尾の板なので不恰好極まりない。髪は武者風に結ってはいるものの生まれて此の方油で整えた事がないのだと思う程にぼさぼさで、赤い元結で締め上げているのも見栄えはしなかった。しがみついた時から骨太とは思っていたが、正に絵に描いたような無頼の輩であった。
 対して惟之は人より少々小柄ではあるものの、顔付きは悪くなく、身形もきちんとしていて良家の子供といっても何の不思議もない風体である。髪も油で整えているし、元結も縄で代用していたり女物を使うという事もない。勤め人という手前もあるのだろうが、朱絽が知る限り惟之は歌舞伎者に対して些かの興味もないようであった。巷で流行る生地など滅多に使う事はなく、地味な色合いのものを好んで買う。若者らしくないと常々朱絽は言っているのだが、苦言が聞き入れられた例など一度としてない。せめてと呉服屋に頼んで余った布地で其れなりに見える手拭を選んで給金代わりにやった事もあったのだが、使われているところを見た事はなかった。
 男は何拍か惟之を見詰めていたが、やがて興味が失せたらしい。ふと視線を外すと、からりと破顔一笑し伸びらか声を発した。
「某、遠国より参った浪人の但馬岩隆斎臥竜と申す。以後、宜しく願うとしよう。」
 がりょう、と口の中で繰り返すと男はにこりと笑う。強面ではあるものの、笑えば中々に愛嬌がある顔である。人好きがするような柔らかな笑みであった。しかしその笑みもすっと消えて、青年を冷たく見下ろす。
「これ、其処許は乙女の袖を何時まで掴んでいる気だ。」
 先程とは打って変わって雷のような声であった。惟之は云われて初めて、まだ朱絽の袖を掴んでいる事に気付いたようであった。サッと手が除けられる。臥竜はふん、と鼻を鳴らすと朱絽を庇うように前に出た。青年は傷付いた顔をして、俯いた。
「あれは誰です。」
 朱絽が答えようと口を開いた瞬間。
「私はお嬢様の―――――お目付けの、惟之と申す者です。」
 お目付け、と言う件は小さかった。俯いていた所為でもあるだろうが、聞き取り辛い声だった。振り絞ったような声だ。其れでも震えているのに気付いたのはこの場では朱絽だけであろう。こんな事は初めてだった。この巨漢に対しては流石に一歩引くのか、と思ったが其れは釈然としない。惟之が大人しい子供だったのは過去の話で、兎も熊に立ち向かえるようになったのだ。雇い主にさえ気安い口をきき、誰にでもはっきり物を言う惟之が―――――その惟之が俯いたまま言葉を発したのも、朱絽は初めて見た。

テーマ:自作連載小説 - ジャンル:小説・文学

[2009/03/22 13:39] | 臥蝶 | トラックバック(0) | コメント(0) |
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